
SHIBUYA ekiato
写真は東横線渋谷駅の線路の砂利(バラスト)を袋に詰め放題のSHIBUYA ekiatoイベントで、参加していた子どもたちも、普段線路の砂利に触ることはできないので嬉しそうでした。
東横線渋谷駅利用者の一人として嬉しいイベントでした。
東横線渋谷~代官山間は2013年3月に渋谷駅再開発によって地下化され、廃線となった高架橋は解体。廃線跡地は遊歩道になり、渋谷の大カーブと言われた場所には保育所やホテル、店舗などの複合施設に生まれ変わりました。
山手線の上にはポニーワーレントラス橋という背の低い鉄橋がありましたが、渋谷再開発によって撤去されました。
T2KAORIのInstagramでは渋谷再開発の今と昔の写真を掲載。ご興味ありましたらフォローよろしくお願いします。T2KAORIは富士山撮影が趣味。
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写真は東横線渋谷駅の線路の砂利(バラスト)を袋に詰め放題のSHIBUYA ekiatoイベントで、参加していた子どもたちも、普段線路の砂利に触ることはできないので嬉しそうでした。
東横線渋谷駅利用者の一人として嬉しいイベントでした。
写真は線路の下に電車が走る不思議な光景。上の線路は2013年3月15日の終電まで使われていましたが、地下鉄と線路を繋げる工事で上にあった線路を上昇させ、下に電車が走れる空間を確保させました。
この上の線路は直ぐに撤去されたので、渋谷再開発で一瞬だけ見れた摩訶不思議な光景でした。
1927年の東京横浜電鉄の渋谷~丸子多摩川開業で誕生した高架橋も渋谷再開発によって85年間の歴史に幕を閉じました。
写真は高架橋が解体された更地なのに不自然に残る橋脚2本は何なのか?この時は分かりませんでした。
渋谷再開発の良い面は過去の光景を未来の世代に知ってもらう取り組みがあるところで、再開発で全て解体でなく一部を残し、東横線の高架橋があったというのを伝えています。 写真は解体されなかった橋脚で、再び上にはレールを敷き、その下にはベンチで寛げる空間に生まれ変わっています。
写真に「68」という番号がありますが、これは東横線渋谷駅から68番目の橋脚という意味で、現役時代はこの橋脚番号で管理されていました。 昭和2年の職人さんが造った橋脚が渋谷再開発後も残っているのは嬉しいです。今は遊歩道として沢山の方に素敵な時間を過ごしてほしいです。
渋谷~代官山間には1946年まで並木橋駅があり、通学の利便性向上のため誕生した。しかし、1945年10月24~25日の山の手空襲によって駅は全焼、翌年廃止された。
写真は駅があった名残で、青い枠の中に「の櫻横多」の文字が読み取れますが、これは行き先方面で「の」乗り場、「櫻」櫻木町、「横」横濱、「多」多摩川園前であったと思われます。
遊歩道になった今、並木橋駅跡地には橋脚の保存や小さな駅のホームが再現されいています。渋谷再開発されても戦前の記憶も遺されています。